2022年2月12日土曜日

サイドFIREへの道。理想のライフワークバランスを目指す

お金のために働く状態から早く抜け出したい

最近、話題のFIRE(Financial Independence, Retire Early)

「経済的に自立して早期リタイアすること」を表した略語なんですが、中田敦彦のYouTub大学でこのことが取り上げられているのを見て興味を持つ様になりました。

これはどういったものかというと、「投資から得られる配当金だけで生活費が賄えている状態」を指します。配当金という不労所得で生活できるということは、お金のために働く必要がなくなるということ。

その分、本当に自分がやりたいことに時間や労力を割くことできますし、何もやりたくなければ無理にやらなくても良いという選択の自由が生まれます。

なぜFIREしたいのか

自分自身、なぜFIREしたいかというと、現在フリーランスとして東京を拠点に撮影の仕事を始め複数仕事を掛け持ちして働いていますが、それらは本当に自分がやりたいと思ってやっていることではありません。

海外取材に出るための資金を工面したり、日々の生活のために働かざるを得ない側面が強いという現実があります。本来、自分がやりたいことをやって生活できるだけのお金を生み出せれば良いのですが、それが難しい現状では別の仕事をするしかありません。

ですが、生活のための仕事を可能な限り減らして、自分がやりたいことに充てられる時間や労力を増やしたいと常々思ってきました。そういったこともありFIREしたいと思い始めました。

目算では、今ところFIREするには時間がかかりすぎるので、生活費の半分を不労所得で確保する「サイドFIRE」を目指すことに落ち着いています。

サイドFIREシュミレーション

では、自分がサイドFIREを実現するためにどれくらいの金額と時間が必要なのでしょうか。

ネットで検索するとFIRE実現までの金額や年数をシュミレーションするサイトがたくさんあります。それらを参考に計算してみました。

自身の現在の生活費はおおよそ年間120万円。
この120万円の半分である60万円を配当金でカバーするためには、運用利回り4%の株式への投資が1500万円必要です。(サイドFIRE計算式:年間支出×12.5=必要金額)

必要金額が分かったらそれをいつまでに達成したいかを決めます。個人的には10年以内には達成したいと思っています。

ということは、毎年150万円を投資に回すことができれば、ちょうど10年で達成できる計算になります。月々だと12.5万円。現在の収入では結構きつい。。。

この辺は、事業や副業で収益アップを目指すか、超絶ジリ貧生活を送るか、達成時期をもう少し長く設定するかしかなさそうです。

自分流資産形成のポイント

なんとか効率よくサイドFIREを達成するために自分がやるべきこと、やっていることを紹介します。

  • 撮影収益アップ
    目下頭を悩ませている課題。撮影単価が下がっている昨今、撮影業で収益を上げていくのは本当に難しいです。単価を下げて案件をたくさん取ろうとするのは、価格競争に晒され、薄利多売となり時間と労力を奪われてしまうので逆効果。

    最近は、単価を下げずに付加価値を付ける様にしたり、少しでも単価が良い撮影を受けられるようにB to B案件を取り扱うPIXTAオンデマンドに登録したりと、いろいろ工夫やビジネスチャンスの開拓に勤しんでいます。

  • サイドビジネス
    撮影業の難点は、一度に受けられる案件が一つであることです。スケジュールやキャパの問題で同時並行的に複数案件をこなすことはできません。それ故に、収益アップのためには副業も避けて通れない。

    今までにアフィリエイトを始め、いくつか副業的なものに挑戦したことはあるのですがあまり続きませんでした。そんな中、なんとか今の生活に無理なく導入できるものはないものかと思って辿り着いたのがストックフォトです。

    海外取材や国内撮影で数多く写真を撮影するのに、その大半をハードディスクに眠らせてしまっているのはもったいない。これらも資産として活かせないかと思い2年前から始めました。

    写真の登録作業が面倒で滞っていた時期もありますが、現在は気を取り直してコツコツとオンライン販売できる様にストックしています。低単価ではありますが国内外で写真がちらほら売れています。

    一度写真をストックしてしまえば、後は写真が売れるたびに不労所得を生み出してくれるので今後も腐らず続けていきたいと思っています。

  • ミニマルライフ
    収益アップも大切ですが、日々出ていく支出を抑えることも同じくらい大切。3年前に東京に出てきてからというもの、ソーシャルレジデンスという大型のシェアハウスに住んでいます。

    シェアハウスだと、入居の際の初期費用が低額で、キッチンや洗濯機、ベッドなど生活に必要な設備が備え付けてあるのでその分コストが抑えられます。また郊外の物件のため家賃も比較的抑えられています。

    ただ、撮影で遠方へ出向くことも多いので交通費や移動時間も考慮に入れる必要があり、今後撮影案件が増える場合は23区内への引っ越しも考えています。

サイドFIREからのフルFIRE

ここまでつらつらとサイドFIREのことを書いてきましたが、やっぱり理想はフルFIRE。生活のために働くとこを辞め、自分の時間と労力を全てやりたいことに注げればそれに越したことはありません。

ただ現実的には、今の自分にはサイドFIREが妥当かなと思います。年の半分を海外取材に充て、その半分を国内撮影の仕事に充てるというバランスが良いかなと。腕を磨く上でも撮影の仕事は細々と続けていきたいとは思っています。

ライフワークバランスを如何に自分の理想に近づけるか。様々なしがらみがある人生において本当に難しい課題だな痛感しています。そしていつかはノマドライフが送れたらなと。。。そんなことを考える日々です。

2022年2月6日日曜日

マレーシア半移住計画。日本と海外の2拠点化へ

沖縄のリゾートホテルからの眺め

以前より、日本だけでなく海外にも拠点を持ちたいと密かに思っていたのですが、公に言った方が実現の可能性が高まるという話もあるので、これから折に触れてこの件についても発信していこうと思います。

なぜ、海外にも拠点を作りたいかと言うと、「基本的に出たがりだから」です。同じところ、同じ環境でずっと暮らすと考え方も固着化して柔軟性がなくなりそうだし、時々環境を変えることで気分的にリフレッシュできる。

一口に海外拠点といっても、アムステルダム、オーストリア、ニューヨークなどなどフリーランスとして活動する人が拠点を構えている都市はいろいろあるのですが、自分の中で有力なのがマレーシアです。

なぜマレーシア?

主な要因としては、地理・物価・治安・ハブ空港の4つ。

  1. 地理
    マレーシアと日本は直行便の飛行機で約7時間と比較的行き来しやすい距離感で、時差は約1時間。もし、日本の顧客と仕事をすることがあっても支障のない時差です。緊急時も帰りやすく、行き来にかかる時間とコストを抑えられます。

  2. 物価
    調べたところによると物価は日本の約半分。5~6万円あれば普通に1ヶ月暮らせる様です。今後リモートの仕事に移行していって、もしそこまで稼げなくてもなんとかなりそうなレベル。

  3. 治安
    マレーシアに2年住んでいた友人の話では、マレーシア人はとにかくおおらかで全然怒ったりしないそうです。それに返ってイライラしてしまう場合もあるそう。また、現在3万人以上の邦人が暮らしており(在外邦人が多い国ランキング12位)、比較的安全で移住先としても人気の国だと言います。

  4. ハブ空港
    マレーシアの首都クアラルンプールの国際空港は東南アジアや中東など様々な国への発着便が多く、ハブ空港となっています。諸外国で本業の撮影取材を行う上で利便性が非常に高い。LCCも多く就航しているそうです。

今後の予定は?

というわけで、マレーシアの首都クアラルンプールあたりに拠点を構えたいと思っているのですが、そこに到達する上でいくつもハードルがあります。

まずは仕事。現地に長期滞在するために、現在日本国内で行なっている仕事を段階的にリモートの仕事へシフトしていく必要があります。ある意味ここが一番のハードル。あわよくば同時並行で不労所得が発生する仕組みづくりもしていきたい。

完全リモートで生計を立てられる状態に持っていくのは難しいかもしれませんが、これからの5年間で、なんとか拠点割合を50%東京・50%クアラルンプールにできればと思います。

日本国内においては、拠点を羽田空港か成田空港近辺に移したい。家賃を始めランニングコストも最小限にしていく。などなど、やることは多そうです。

何はともあれ、コロナ禍との兼ね合いもありますが、どこかのタイミングで1ヶ月ほどマレーシアに滞在してみようと思います。実際住んでみないと分からないことも多いので。

マレーシアでロケ撮影

現在、東京を拠点に主に撮影の仕事を行っていますが(他にもいろいろ)、マレーシアにも日本人が多く住んでいるということ、また旅行先としても比較的人気があるということを考えると、現地でロケ撮影の仕事も創出できそうな気がします。

東京で撮影の仕事をして、閑散期にはクアラルンプールでも撮影の仕事を得られれば、より2拠点化の実現可能性が高まりそう。そもそも本業のための拠点作りでもあるのでライフワークバランスは大切ですが。

ひとまず、現段階で書けるところはこの程度。また新しい動きがあったら発信していきたいと思います。

2022年2月5日土曜日

4年間のシェアハウス生活を経て。一人暮らししたくなったという話

シェアハウスの自室。毎朝窓辺でコーヒーをドリップするのが日課

2018年に東京に引っ越してきて住み始めたソーシャルレジデンスという大規模シェアハウス。

途中、同じ系列の物件に引っ越しをしましたが、もうすぐシェアハウス歴が4年を迎えます。もうそろそろシェアハウス生活も潮時かなと思っている今日この頃なんですが、これまで住んでみての所感を年毎に書いてみようと思います。よろしければ参考にしてみてください。

ソーシャルレジデンスとは?

フリーランスとして東京暮らしを始める上で家を探していた時に偶然見つけたソーシャルレジデンスなんですが、どういったものかを一言で説明すると「おしゃれな社宅」。キッチンや浴室、トイレ、洗濯機などは通常のシェアハウスと同じく共有で、自室にはベッドとクローゼット、冷蔵庫が完備されています。

一番大きな違いは規模感。シェアハウスと聞くと通常一軒家を4~5人で共有するイメージかと思いますが、ソーシャルレジデンスは元々社宅として利用されていた物件をリノベーションしているものが多く、基本2階建以上で入居者は100人規模。それ故、大学生やフリーランスの人、ワーキングホリデーで日本に来ている外国人なども多く、多種多様な人たちと出会い交流できるチャンスがあります。

これは面白そうだと思いいろいろ調べてみて入居を決めました。
主な決定要因は以下になります。
  • フリーランスでも入居契約しやすい
  • 共有備品があるので引越し費用が抑えられる
  • 個室なのでプライベートが確保できる
  • 様々な国籍の人たちと交流ができる

とにかく全てが新鮮で刺激的だった1年目

初東京ライフということもあって、当初のシェアハウス生活はかなり新鮮でした。おしゃれなカフェの様なコワーキングスペースがあり、シアタールームやジム、さらには大浴場まである物件で至れり尽くせり。

そんな空間が好きで、いつも共有部に出ていっては様々な人たちと交流する日々でした。当時はコロナ禍前だったのでイベントも頻繁にあり、夏場に中庭で本格バーベキューをしたり、正月には臼と杵で餅つき大会をやったりしていて、その都度顔を出していました。

また、当時は韓国、中国、フィリピン、スペイン、アメリカなど様々な国籍の人も多く、交流を通して英語を使う機会も多かったので語学力の維持やブラッシュアップもできました。とにかくいろんな人と交流するのが楽しくて自室より共有部にいる時間の方が長かった気がします。

協力隊でヨルダンへ派遣される前に二本松訓練所で2ヶ月間、同期隊員と共同生活を送ったことがあったのですが、その時の様な楽しさがありました。

シェアハウス生活に慣れて楽くなってきた2年目

一年も暮らしているとやはり引っ越してしまう人もいて、仲が良かった人が引っ越す度、お別れパーティーをしていました。かと思えば、また新しい人が引っ越してきて新たな人間関係が生まれる。そんな流動的な日常でした。

その頃になると、友人関係も定着してきて一緒にキッチンで食事を作って食べたり、休みの日に一緒に出かけたりすることも多くなりました。仲が良い人同士で小さなコミュニティーができていた様に思います。ただ、人の出入りが流動的な分、個人的には人間関係は広く浅い感じでした。

100人規模のシェアハウスなので、一年住んでいても知らなかったり、会ったことさえない人もいました。人と交流するのが好きで住んでいる人もいれば、コスパが良いから住んでる人もいたりとスタンスは人それぞれなので当然。肌感覚としては、共有部によく出てくる人は全体の3割くらいといったところでしょうか。

この頃は程よい距離感の人間関係だったので一番快適だった様に思います。

人間関係によるストレスを感じ始めた3年目

3年目に差し掛かるにつれ、だんだん雲行きが怪しくなってきました。長く住むとやはり人の嫌な部分が目に着き、不快な気分にさせられることが増えたからです。それにより、今までそうでもなかった人が嫌いになったりしました。

シェアハウス生活一番の難点は、結局のところ「人間関係」だなとつくづく思いました。嫌いな人と一緒に住むのは本当にストレスです。普段そこまで顔を合わせる人でなければともかく、頻繁に共有部で遭遇する人となるとどうしようもない。住居が同じなので避けたいのに避けきれないのはなかなかきつい。

あと、シェアハウス歴が3年にもなるとやはり当初の新鮮さは薄れマンネリ化、村社会化してきます。その頃から、嫌いな人の存在も相まって共有部に行くのは億劫だし、人に会う度に話をするのも面倒になってきていました。この頃から引っ越しを考え始めました。

不特定多数の人たちと暮らしていれば、当然馬が合わない人は必ず出てきます。一滴の墨汁がコップの水全体を濁らせる様に、ちょっとした人間関係の歪みがストレスを増大させる。これは教訓です。身の回りに自分にとって不愉快な人間を近づかせない環境整備は良い人生を送る上で本当に大切。

マンネリ化と不快な人間関係により引っ越した4年目

そして丸3年が経とうとしていた頃、とりあえずすぐ移動できる別のシェアハウスに引っ越しました。一刻も早く環境を変えたかったからです。

新しいシェアハウスに引っ越して心機一転。最初はいろんな人と交流していたのですが、なんだか人間関係の煩わしさが抜けず、結局今は仕事と自室の行ったり来たりという生活に落ち着いています。ただ、これはこれで自分の時間を100%自分のやることに使え、人間関係に気をかける必要性がなくなるので楽です。

これならいっそのこと一人暮らしで良いなというのが今の心境です。良い物件が見つかったら引っ越そうかなと思っています。ただ、シェアハウスのコスパは捨て難いというのも事実。なかなか悩ましいところです。

長くなってしまいましたが、シェアハウス生活の所感はここまで。これからシェアハウス生活を考えている人の参考になれば幸いです。

2022年1月30日日曜日

SNSとの関わり方。「情報発信≠目的」という認識が大切

スマホは非常に便利な反面、SNS依存を生み出す諸刃の剣

以前から問題意識を抱いているSNS。

そのことについては折に触れ投稿してきたのですが、今回も改めて思うことがあったので書き ました。それは何かというと、SNSをやっていると「情報発信=目的」になってしまうという弊害についてです。

言い方を変えると、「手段が目的になってしまう」ということ。SNSはあくまで情報発信ツールのはずです。自分の考えや身の回りの出来事を他人と共有したり、芸術家や企業が自分の作品や商品を周知したりと、プライベートやビジネス上でツールとして使われます。

ちゃんと目的が明確にあり、ツールとして割り切って使えているのであれば問題はないと思いますが、そうではない場合が往々にしてあるのではないでしょうか。それはSNS特有の人の承認欲求や他者比較の心理を刺激する特性によるものです。

それにより、しばしば人はSNSというバーチャルなプラットフォーム上で、いいね!・シェア・フォローというリアクションに反応し、その数が多ければ多い程、目立ち、評価され、賞賛されていると錯覚し、次第にその数を追い求める様になります。

その結果、初めは自分が周りに伝えたい情報があり、それを発信する手段としてSNSを使っていたのが、いつの間にか発信することで周囲の評価を得たいという気持ちが強くなり、発信するための情報を集める様になっていきます。「情報ありきの発信」ではなく、「発信ありきの情報」を求めるという本末転倒な状態になってしまいます。

英語学習で例えるならば、外国人と英語を使って楽しく会話したいという目的があって英語学習するのではく、英語というコミュニケーション手段が目的になってしまっている状態。手段が目的になってしまうとそれ自体が苦行になってしまいます。ですが、それに気づかずに続けてしまう人は多い様に思います。

そして何より、情報発信が目的になってしまうと、情報そのものの質が急激に劣化します。それはなぜかと言うと、発信するためにかき集められた情報については、中身をよく精査せず、自分の中でしっかり咀嚼することなく吐き出してしまうからです。

本来、情報発信というものは、自分が誰かに伝えたい事柄があって始めて機能します。自分自身、日々仕事でSNSに触れる中で、多くの人にリーチするために絶え間なく何かを発信しなければならないという焦りを感じ、中身の薄い情報を出してしまうこともあります。

それは自分にとっても情報を受け取る側にとってもデメリットしかありません。ただでさえジャンク情報が多いSNS上に自分もジャンク情報を投げ込み続けるのは、一過性の評価は得られるかもしれませんが長期的な信用には繋がらないでしょう。いっそのこと何も発信しない方がマシかもしれません。

そういったこともあり、自分自身、情報発信のペースややり方を見直さなければならないと思い、最近はかなりSNSと距離を置いています。発信することや評価されることに囚われることを止め、まずは自身の生活や活動の中で得られる情報をしっかり咀嚼することに集中する様にしていきたいと思っています

そうしてようやく、情報が自分の中に落とし込まれ、自分の言葉となり自然な形で情報を伝えられる様になるのではないでしょうか。それはやっぱりSNSかもしれませんし、書籍という形、または展示という形かもしれません。自分自身にあった情報発信の型を見つけることが大切だと思います。

そのために一度、情報の出口を閉ざすことが必要なのかもしれないと思った次第です。

2022年1月29日土曜日

SNSについて思うこと 。膨大な情報ノイズによる思考停止


これまで活動や仕事をする上で使用してきたFacebookやTwitter、InstagramなどのSNS。ですが最近、これらとかなり距離をとっています(プチデジタルデトックス中)。

その理由は多々あるのですが、まとめると「情報によるノイズが多い」ためです。SNSを利用すればするほど、必要な情報と共に不必要な情報を膨大に受け取り、それらの情報に不本意に翻弄され、精神的に疲弊し思考力が低下してしまいます。

ここ数年、SNSが持つ弊害を分かっていながらも必要性から使用してきましたが、結局うまく付き合えず、最近になって今一度それらとの関わり方を改めようという思いに至りました。うまく使えば非常に便利なツールなんですが、自分にとっては諸刃の剣です。

人間の処理能力にそぐわない情報爆発

テクノロジーが日進月歩で進化し、情報があらゆる媒体で発信されるようになった現代。各種SNSに登録してそのアプリを携帯端末にインストールしておくだけで、自動で大量に様々な情報を受け取れる「便利」な時代になりました。

ですが、このテクノロジーの劇的な進化に伴い多様化・肥大化した情報に合わせて、人間の情報処理能力も劇的に進化したと言えるでしょうか?
人間の生物としての能力がテクノロジーの様な急激な進化を辿ることはありません。今の情報発信や受信は人間の処理能力にそぐわない様に思えます。

多様な情報に日々膨大に晒されることは、長い目で見ると精神面や思考力に重大な影響を被るように思います。自身にとって不可欠な情報はありますが、多くのものは不要であってノイズだと思います。日々それらの情報ノイズにより受けるダメージはそこまで大きいものではないため意識されにくいですが、長年かけて蓄積されて深刻なダメージとなるのではないでしょうか。

若い頃の日々の食生活が将来の健康に影響を及ぼすように、今自分たちがSNS上で行っている情報の消費行動は将来的に精神面になんらかの影響を及ぼし得るはずです。

情報に対して「受け身」が引き起こす思考停止

今の時代、携帯端末上のSNSアプリからいつでも気軽に膨大な情報が溢れるバーチャル空間へアクセスできます。そこでは、知人のプライベートの充実ぶりを自慢する投稿であったり、特定の人に対する誹謗中傷であったりと本来知る必要性がない、むしろ知らなくて良い様な情報にも晒されてしまいます。

そして、SNSの問題点は膨大な情報量以上にそれらが勝手に流れ込んでくる点にあると思います。結果的に情報に対して受け身の姿勢になり、自分が必要な情報を自分から探しに行くのではなく、必要性のある無しに関わらず雑多な情報が流れ込んできてしまいます。

仮に必要な情報であったとしても、勝手に流れ込んでくることには少なからず弊害があります。自分の中で情報を処理して落とし込んでいない状態で次から次へと新しい情報がやってきます。それはまるでワンコ蕎麦の様です。

咀嚼し切れていないのに次から次に蕎麦が運ばれてきて口に運ばざるを得ない。結果、蕎麦を味わうことなくただ詰め込んでお腹がいっぱいになってしまいます。胃袋で言うと満腹、脳で言うと思考停止の状態です。膨大な情報を受け入れ続けることは、人の能動的な情報収集能力を奪い、結果的に思考力を低下させてしまうのではないでしょうか。

また何らかの情報が入ってきやすい状況は、人の集中力を散漫にして目の前のやるべき物事に対する集中力を低下させ、生産性や質を低下させてしまいます。

人が持つ承認欲求を利用したシステムの中毒性

雑多な情報が溢れかえるSNSから離れられない原因として、SNS特有のシステムによる中毒性があげられます。それを端的に表しているのが「いいね!」です。他人の投稿に対してボタン一つで気軽に評価をすることができる機能ですが、これに翻弄されてしまう人は多いのではないでしょうか(自分自身も然り)。

この「いいね!」が多ければ多いほど、自分が投稿する内容が多くの人々の共感を得て、高い評価を受けていると錯覚してしまいます。「いいね!」をする人の中には、本当に良いと思ってやっている人もいれば、知り合いだから挨拶がわりにやっている人、またはSNS上での自身の存在感を示すために戦略的に行なっている人など様々です。

確かに「いいね!」が多いと嬉しいですが、よくよく考えてみると本質的に適切な評価をされているかどうか怪しいものです。ですが、そうと分かっていても反応して翻弄されてしまうのが人の性なのかもしれません。そう考えるとSNSのシステムを構築した第一人者(マーク・ザッカーバーグ?)は、人が根源的に持つ承認欲求を巧みに利用した市場開拓に成功していると言えます。

そもそも人々は、自分自身が外部に発信したい発信すべきと思っていた情報をSNS上に投稿していたはずが、いつの間にか「いいね!」が稼げる大衆受けする内容を投稿し始める様になります。自身の承認欲求を満たすことが目的になってしまうわけです。

そして、自身の投稿に対する他人の反応が気になって頻繁にSNSを開いて確認してしまう人。一方でSNS上に流れる他者の投稿から私生活や仕事などの充実ぶりが垣間見え、自身が置かれている状況と比較して一喜一憂してしまう人も多いのではないでしょうか。

また、各種SNSのプラットフォーム上に形成されている特有の暗黙のルールや空気感(バーチャルコミュニティー?)が生み出す同調圧力の様なものも個々人に思考や精神に影響を及ぼしていると思います。もちろん全ての人がSNSに翻弄されているとは言いませんが、その状態に陥ってしまっている人は相当数いるのではないでしょうか。

「知らぬが仏」マインドの重要性

日々、膨大な情報というノイズに晒される今の時代、自分の中で昔からある「知らぬが仏」という言葉が存在感を増しています。誰にとってもその人が知りたいと思う情報、知る必要性がある情報はあります。ですが、毎日SNSから受け取っている情報の大半は、果たして自分が知りたいことであったり、必要としている情報でしょうか。

外からひっきりなしに流れ込んでくる情報に本来自身が持っている独自の考えであったり、アイディアが埋もれてしまっている気がします。今一度「情報」と距離を置いて、自身の内と向き合う時間、自身の思考を深化させる時間が必要である様に思う今日この頃です。