2022年1月29日土曜日

SNSについて思うこと 。膨大な情報ノイズによる思考停止


これまで活動や仕事をする上で使用してきたFacebookやTwitter、InstagramなどのSNS。ですが最近、これらとかなり距離をとっています(プチデジタルデトックス中)。

その理由は多々あるのですが、まとめると「情報によるノイズが多い」ためです。SNSを利用すればするほど、必要な情報と共に不必要な情報を膨大に受け取り、それらの情報に不本意に翻弄され、精神的に疲弊し思考力が低下してしまいます。

ここ数年、SNSが持つ弊害を分かっていながらも必要性から使用してきましたが、結局うまく付き合えず、最近になって今一度それらとの関わり方を改めようという思いに至りました。うまく使えば非常に便利なツールなんですが、自分にとっては諸刃の剣です。

人間の処理能力にそぐわない情報爆発

テクノロジーが日進月歩で進化し、情報があらゆる媒体で発信されるようになった現代。各種SNSに登録してそのアプリを携帯端末にインストールしておくだけで、自動で大量に様々な情報を受け取れる「便利」な時代になりました。

ですが、このテクノロジーの劇的な進化に伴い多様化・肥大化した情報に合わせて、人間の情報処理能力も劇的に進化したと言えるでしょうか?
人間の生物としての能力がテクノロジーの様な急激な進化を辿ることはありません。今の情報発信や受信は人間の処理能力にそぐわない様に思えます。

多様な情報に日々膨大に晒されることは、長い目で見ると精神面や思考力に重大な影響を被るように思います。自身にとって不可欠な情報はありますが、多くのものは不要であってノイズだと思います。日々それらの情報ノイズにより受けるダメージはそこまで大きいものではないため意識されにくいですが、長年かけて蓄積されて深刻なダメージとなるのではないでしょうか。

若い頃の日々の食生活が将来の健康に影響を及ぼすように、今自分たちがSNS上で行っている情報の消費行動は将来的に精神面になんらかの影響を及ぼし得るはずです。

情報に対して「受け身」が引き起こす思考停止

今の時代、携帯端末上のSNSアプリからいつでも気軽に膨大な情報が溢れるバーチャル空間へアクセスできます。そこでは、知人のプライベートの充実ぶりを自慢する投稿であったり、特定の人に対する誹謗中傷であったりと本来知る必要性がない、むしろ知らなくて良い様な情報にも晒されてしまいます。

そして、SNSの問題点は膨大な情報量以上にそれらが勝手に流れ込んでくる点にあると思います。結果的に情報に対して受け身の姿勢になり、自分が必要な情報を自分から探しに行くのではなく、必要性のある無しに関わらず雑多な情報が流れ込んできてしまいます。

仮に必要な情報であったとしても、勝手に流れ込んでくることには少なからず弊害があります。自分の中で情報を処理して落とし込んでいない状態で次から次へと新しい情報がやってきます。それはまるでワンコ蕎麦の様です。

咀嚼し切れていないのに次から次に蕎麦が運ばれてきて口に運ばざるを得ない。結果、蕎麦を味わうことなくただ詰め込んでお腹がいっぱいになってしまいます。胃袋で言うと満腹、脳で言うと思考停止の状態です。膨大な情報を受け入れ続けることは、人の能動的な情報収集能力を奪い、結果的に思考力を低下させてしまうのではないでしょうか。

また何らかの情報が入ってきやすい状況は、人の集中力を散漫にして目の前のやるべき物事に対する集中力を低下させ、生産性や質を低下させてしまいます。

人が持つ承認欲求を利用したシステムの中毒性

雑多な情報が溢れかえるSNSから離れられない原因として、SNS特有のシステムによる中毒性があげられます。それを端的に表しているのが「いいね!」です。他人の投稿に対してボタン一つで気軽に評価をすることができる機能ですが、これに翻弄されてしまう人は多いのではないでしょうか(自分自身も然り)。

この「いいね!」が多ければ多いほど、自分が投稿する内容が多くの人々の共感を得て、高い評価を受けていると錯覚してしまいます。「いいね!」をする人の中には、本当に良いと思ってやっている人もいれば、知り合いだから挨拶がわりにやっている人、またはSNS上での自身の存在感を示すために戦略的に行なっている人など様々です。

確かに「いいね!」が多いと嬉しいですが、よくよく考えてみると本質的に適切な評価をされているかどうか怪しいものです。ですが、そうと分かっていても反応して翻弄されてしまうのが人の性なのかもしれません。そう考えるとSNSのシステムを構築した第一人者(マーク・ザッカーバーグ?)は、人が根源的に持つ承認欲求を巧みに利用した市場開拓に成功していると言えます。

そもそも人々は、自分自身が外部に発信したい発信すべきと思っていた情報をSNS上に投稿していたはずが、いつの間にか「いいね!」が稼げる大衆受けする内容を投稿し始める様になります。自身の承認欲求を満たすことが目的になってしまうわけです。

そして、自身の投稿に対する他人の反応が気になって頻繁にSNSを開いて確認してしまう人。一方でSNS上に流れる他者の投稿から私生活や仕事などの充実ぶりが垣間見え、自身が置かれている状況と比較して一喜一憂してしまう人も多いのではないでしょうか。

また、各種SNSのプラットフォーム上に形成されている特有の暗黙のルールや空気感(バーチャルコミュニティー?)が生み出す同調圧力の様なものも個々人に思考や精神に影響を及ぼしていると思います。もちろん全ての人がSNSに翻弄されているとは言いませんが、その状態に陥ってしまっている人は相当数いるのではないでしょうか。

「知らぬが仏」マインドの重要性

日々、膨大な情報というノイズに晒される今の時代、自分の中で昔からある「知らぬが仏」という言葉が存在感を増しています。誰にとってもその人が知りたいと思う情報、知る必要性がある情報はあります。ですが、毎日SNSから受け取っている情報の大半は、果たして自分が知りたいことであったり、必要としている情報でしょうか。

外からひっきりなしに流れ込んでくる情報に本来自身が持っている独自の考えであったり、アイディアが埋もれてしまっている気がします。今一度「情報」と距離を置いて、自身の内と向き合う時間、自身の思考を深化させる時間が必要である様に思う今日この頃です。